苦しかった頃、いつもそばにいたカラスは、幸せを象徴する“カラス”になった |
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10年前、京都市街地から車で一時間。山あいに建つプレハブ小屋の中で、一人孤独に作品を作っていました。壁も天井も薄くて所々むき出しになっていた室内は、気温が夏場は45度を超えて、冬には-7度になりました。夏の暑い日に溶接作業をしていると、汗で作業着がビショビショに濡れてしまい汗の水分を伝って全身が感電することがありました。また、冬の寒い日は、あらゆる隙間から冷気が入り込み、室内に置いているペットボトルの水が凍る日もありました。8時間会社勤めした後、アトリエへの移動中に車内で食事を済ませて、9時間アトリエで制作、1日合計17時間1ヶ月当たり500時間仕事していた事を覚えています。 |
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彫刻家になる夢を見ていた24歳の夏。大学を卒業後、コツコツ働いて貯めた準備金を元手にアトリエを借りました。その後、彫刻家になる夢は叶わず、挫折しました。鞄作りが軌道に乗り始める28歳までの約4年間、一人前のクリエイターを目指した貴重な経験がonomasatoの鞄作りの礎になっています。 |
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”カラス”の原画
今、この文章を読んでいるあなたは、カラスに対してどんな印象をお持ちでしょうか? 私、小野正人にとって、カラスは“苦しかったアトリエ暮らし”を意味します。一人前の彫刻家になる夢を追いかけて作品作りに没頭していた時、将来このまま彫刻家を続けるべきか、思い切って辞めるべきか悩んでいた時、そして、バッグブランドonomasatoを始めると決断した時も、このアトリエの中で決断しました。 現在でも、カラス柄を見ると苦しかったあのアトリエ暮らしの事を鮮明に思い出します。そんな苦しみを意味したカラスでしたが、今では、幸せな世界に導いてくれる力があると感じています。 ある秋の夜に、いつもそばにいるカラスを、頭の中に思い浮かべてイメージのままスケッチしました。そのカラスのイラストを、iMacを使って図案に起こして、芸術作品を作る際に使用していた自作のシルクスクリーン露光機を使って製版し、手刷りプリントしたカラスの生地を使って鞄を作ってみたのです。 |
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自作のシルクスクリーン製版用露光機
手刷りプリントした”カラス”のポーチ
その後、瞬く間に製作が間に合わなくなるくらい鞄が売れ始めました。大丸百貨店全店舗での取り扱いも決まりました。何もかもトントン拍子に、うまくいきだしました。生活費を稼ぐ為に勤めていた会社も思い切って辞めて、鞄を作る事が本業になりました。その後、結婚し夫婦二人体制になったことで、生産量販売量も2倍以上になります。京都西陣にアトリエを移し、小さな店舗を構えます。パリ・コレクションからも招待されるようになり5回参加できました。パリコレに参加して一番自信になったことは、世界のトップデザイナーと言われる人達のコレクションと一緒に展示会場に並べて見比べたとき、onomasatoのコレクションの方がクリエイティビティに溢れ世界観が明確であると感じた事でした。その後、パリコレクションに参加した実績などが幸いしてか、今まで困難だった素材のメーカーさん探しがうまくいき始めます。このころに、国内自動車企業系列のあるメーカーさんと出会いました。そのおかげで軽量シリーズのための理想の素材が誕生しました。ポリカーボネイトを材料にする事で思い通りの質感と耐久性が実現できるようになったのです。少しずつですが、海外からのお客様もお店に来てくださるようになっています。小野正人個人の目標は、昨年、子供も授かる事ができたのを区切りにこの10年間で満たされました。こんな幸せな世界に導いてくれた“カラス”に対して、まさに感恩報謝の極みです。 |
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鞄の型紙
パリ・コレクション展示風景
今後10年間でやるべき事 |
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おかげさまでonomasatoは創業10周年を迎えることができました。
これからも末長くよろしくお願いいたします。